高床式倉庫

わざわざ高床で保存しておく必要性はあまりない闇鍋ブログ

生きるのに向いていない

いわゆる、メンタルヘルス的な記事です。嫌な予感した人は乳首の話でも読んでいってください。(何故)

clarastorage.hatenablog.com

 

 

現状のこととか少しずつ書いとくか、と。

なんというか、普段仮面ライダーの事とかどうでもいい事とか書いたりしてるこのブログを、「なんちゃってメンヘラ女が書いてる」という意識越しであんまり読まれたくなくて。なんでだろう、やっぱり精神状態があんまりよくない事に対してのコンプレックスのような感じなのかな。今までは、あんまりメンタルヘルス的なことは近況報告程度にしか書かないでおこう…となってたけど、体験談的な感じで記録として残しておこうかなぁとは思うので、書くことにしました。でもなんちゃってメンヘラ女フィルター嫌だな…めちゃくちゃ明るく書くか…めっちゃ明るい鬱体験談、それはそれでなんか嫌だな…と思い、現状のことと過去のことを、思うまま、つらつら書いていきます。後々黒歴史だと思った瞬間非公開にします。

 

私は、こう、うつ病なのか睡眠障害持ちなのかなんなのかちゃんと診断されないまま、それが私が半端にメンタルがやられてしまっただけなのか、病院側が何にもしてくれなかったのか分からないまま(自分に合う薬を出し続けてはくれるので通い続けていたけど、さすがに違うところに行ってみようという相談は母としている)ぐだぐだと心療内科通いを続けて、もう三年弱経つ。自分で書いてて、早いものなのか、遅いものなのか、あんまり分からなくて微妙な顔になる。気持ちがどん底の時は時間が永遠に感じられて、寝れない夜はいくら目を瞑っても明日なんて来ないし。かといって、なんにもしない堕落的な怠惰な日々はあっという間に過ぎていくから。一日がものすごく長い日もあれば、いつの間にか一週間経っている時もあった。こうなってしまってから、私の周りだけ、時の流れがおかしいんじゃないかってぐらいに差がなんとも激しく感じるようになってしまった。

 

具体的に書くと、凄く気持ちの波が激しいのだと思う。といっても、「良いとき」はあんまりなくて、「あんまり良くないとき」と「良くないとき」がほとんどで、たまーに「まぁまぁ良いとき」と、わりと頻繁に「だめなとき」「全然だめ」がある感じ。分かりにくいな…。そんな「だめなとき」とかは、ちょっとした嫌なことがあったりしたら、一気に自分の中の解決できていない・かみ砕けていない気持ちとか不安感とか虚無感だとか自己嫌悪とか、そういうのがひたすらに襲ってくる。そして、「全然だめ」にまでいってしまうと、なんにもできない。ただ泣きじゃくっているか、虚無感に包まれてぼーっと虚空を眺めたりしていると思う。最近、幻聴じみた音も聞こえていたことが判明した。「だめなとき」ぐらいだと、SNSでみっともなく吐き出したりだとか、ゲームアプリを開いたりだとか漫画読んだり、気分を紛らわすための行動が出来るんだけど、「全然だめ」だとなんにも手につかないし、スマホとかを触るという選択肢すらない。ただ、自分自身に絶望するだけの時間が続く、これが異様に長く感じる時間のひとつ。そんな波と、うまく付き合いたくて、どっか行ってほしくて、本当は早く、ずっと「まぁまぁ良いとき」が続いて、生きていて幸せだなぁと言えるように成りたかったのだけれど、そううまくいかず、こうして、良くも悪くもならずに、ずるずる病院通いから三年弱、おかしくなり始めてからはもうちょっとしたら三年というところにきてしまった。

私はうつ病じゃないらしいのに、変なの。こう書くと、うつ病です。あなたは病気です。って、認めてもらいたい、この心の奥にあるどうしようもない虚無感と希死念慮的な気持ちを、「病気だからそう感じている(思う)んだよ」って、言われたいのかもしれない。言われてなにか変わるのかは分からないけど。だから、病院を変えるのは、環境が変わるのを恐れて嫌がっていたけど、最近は他にいいところを見つけよう、とすこし前向きな気持ちになれているのかも。こんな動機(?)で前向きになるのもなんか嫌だなぁ…。

 

他だとやっぱり、睡眠に難がありすぎるところだろうか。このせいで、私は当初通っていた全日制の高校を辞めることになった。なにか嫌なことがあって寝れなくなったのか、寝れなくなって嫌になったのか、あんまり覚えていなくてどっちが先かは分からないけど、とりあえず現在も睡眠薬無しでは夜には寝付くことがなかなか出来ない。季節やコンディションによりけりだけど、朝起きれないor過眠気味になってしまう。まぁ、夜あまり寝れない・質のいい睡眠がとれていないから、朝起きようと思っても無理がある、というのは当たり前だとしても、起き上がれない、っていう感覚がけっこうあって、当初は起立性調節障害なんじゃないかと言われたり、はたまた血圧が異様に低いだとか、なんか色々言われたけれどはっきりと何か分かったわけでもなく、結局何がなんだかなのである。自分の体のことが全く分からない。それに加え、メンタル面で、どうにも「なんにもしたくない」「だるい」みたいなモードに入ってしまったら、寝ることすら嫌になる時もある。寝たら、起きれない明日が来るから嫌だと思う時もあった。

 

こんな感じに、なんだかおかしくなってしまった原因は、起立性調節障害だとかはあったのかもしれないけれど、やっぱり一回心がバッキバキに折れてしまったからで。

ちょうど三年前の今頃、学校の友人とうまくいってないというよりかは、自分は根っからの陰の者のくせに、高校生になってから仲良くなった子たちはとても陽だったので、いじめられたとかは全くなかったけど、ノリに着いていけなくなってきて疲れてしまっていたりしていて、居場所がないように感じて。それと、当時掛け持ちしていたバイト先の一つが、女社会の地獄を煮詰めたような劣悪な人間関係で、息が詰まりながら働いていた中パートのババアに若干いじめられ始めたのもあった。とにかく、なんだか精神的に相当参っていた。そんな時に、人間性が苦手な父親と大喧嘩した。というよりか、父親による私の価値観や考えの否定のオンパレードだったので、喧嘩ではないかも。あまりに一方的だったから。そこで、心がばっきりと折れてしまった。今も治っているようすはない。無理やりガムテープで繋ぎ留めて、中身が漏れないように必死に形を保たせて、傷なんてないかのように、毎日へらへらしながら現実逃避している。へらへらできなくなっているのが「だめなとき」「全然だめ」。

 

こうなった理由としてあった中で、ものすごくでかく、いまだに解決できない・解消することのない存在が、父親なのだ。今まで、前ブログでも割とメンタルヘルス的な内容は書いていたけれど、父親のことをしっかり書くのは初めてかもしれない。ちゃんと気持ちに向き合えていなかったのか、向き合う気にもなれなかったのか。それとも、一般的に言われるような「毒親」ではないと感じていて、「どこの親もそんなもの」と思われるのが怖かったのか。

まず、根本的に、どうしようもないところで、父親が苦手なのだ。人間性が。性格が。考え方が。身内じゃなければ絶対に関わっていなかった人種が身内にいるって方、わりと多いのではないかと思うけど、それがまさに私にとっての父親で。幼い頃はそう感じなかったのか、私の感じ方が変わったのか、父親が変わったのか、いつからかは覚えていないけど、気がついた時には、どうしてもだめだった。

父親は根っからの「いじめっ子」だ。どうしても逃げられない私の「いじめっ子」が父親なのだ。考え方が、どこをとってもいじめっ子の考えで、いじめられっ子の私はただ縮こまることしかできない、と思いきや、なぜか16ぐらいの私は、妙に反抗的だった。私の父親という人間は、ものすごく礼儀やマナーに厳しい人だった。小さい頃から私や姉たちは厳しくしつけられていた。その辺りは、大きくなってから、公共の場なんかで暴れている子供なんかを放置したり「子供だから許される」と思っている親を見て、「私はちゃんと叱ってもらえてよかった」と思えていた。だけども、どこまでもあの人の世界はあの人中心で回っていた。いつの間にか、ただの価値観の押し付けが始まっていた。父親の中の常識は、世界中の常識なのだ。私がおかしい、私はそうは思わないと言っても、父親の訴える考えや価値観を、私や母と姉たちとで違うと主張しても、少数派というか一人になっても、その考えは揺るがない。私達がおかしくて、父親と父親の思う世間が正しいのだという。ちょっとしたこういう口論が度々あり、なんだか疲れてしまっていた。だけど、先程書いたように、16ぐらいの私は妙に反抗的な姿勢を崩さなかった。ただの反抗期だったのかもしれないけど、単純に、価値観の押し付けや強要はおかしいと思っていたし(それは今でも思っている)、そういう父親を、母や姉たちは諦めていた。「あれはそういうものだからどうしようもない」と。今考えたらその通りなんだけど、当時の私は、まだ心から父親を嫌いになれなくて、苦手だとは思いたくなくて、諦められている父親がなんだか可哀想に見えて、家族って対等に意見を言い合えるものだというバカな勘違いしてしまっていたのだ。だから、色々なことを押し付けられる度に、それはおかしいと思うままに口論を起こしていたし、おとなしく「諦めて」いたらよかったものの、私は父親に何度も何度も歯向かったのだと思う。

だけど、先程書いたバイト先で、いじめられているっぽい事を何気なく母に話しているのが父親の耳に入って、真っ先に言われたのだ。「さっさと辞めないお前も悪い」と。これを聞いて、「あぁ、いじめっ子の考え方だなぁ」と思ってしまった。真っ先に、娘がいい歳こいたババアにいじめられていることに怒りを感じなかったのか。心配する声を掛けようと思わなかったのか。私もいじめられる理由はあったかもしれないけれど、被害者が辞めるのが当たり前なのか。私が、好きなもの・趣味のために働いていて収入源を減らしたくなくて悩んでいることは考えなかったのか。辞めたいと言う勇気さえ失っていた事に気付こうともしないのか。

ちょっと書いてて辛くなってきたので一旦休憩します。

帰ってきました再開します。

なんだか、今思えば「心から嫌いになりたくない」とか、そんな生ぬるいことを考えてた自分がバカみたいで。この言葉でかなりこう、ずしってきて。そこから少し経っての、心バッキリがあるんで。なんなんだろうか、私って。そこから、私は鬱っぽくなって、母は父親が原因の一つだって分かっててくれたので、「あんまり口出ししないで」と言っててくれたよう。ありがたい。でも、父親は私の「あんまり良くないとき」ぐらいの、まだ大丈夫な部類の時を見て、何を思ったのか「治ってきてる」とか勘違いしだすっていう。本当、なんなんだ。私の気持ちを、感情を、考えを分かろうともしていないのが、無性に腹が立ってきて、泣きたくなって。私が歩み寄ろうと、元々の仲の良かったはずの頃の親子に戻りたいという気持ちなんて残ってる方がおかしいのか。

そういう、時々口論になって私が泣いてが度々あり、私は一向に良くならない。父親は全く変わりもしない、変わろうともしていないのがずーっと続き、つい先月辺り、「もう絶対に一生許さないし憎み続けてやる」って思って、完全に私の中で父親への、いままであった元に戻りたいだとか情とか、そういうのがパッキリ折れた。

私の今後の事とか、そういうのを母もいて話していて、またちょっと口論っぽくなって、溜まりに溜まってたから、思ってることとか言ってやろうってなりまして。そうしたら、まぁ案の定、父親は自分の価値観こそ絶対の頑固者なので、私が泣き寝入りして終わりましたとさ。私が分かりっこないって、言うべきではないってわかっていながらも言ってしまった「私がどんな気持ちで毎日生きてるか、どんなに(鬱だとかそういうこと)思ってるか分からないでしょ?」に対して「わかるよ 父さんも鬱だったから」とか言うんだなこれが。なんか、自分でも壊れたのかってぐらいその時、笑いと涙が止まらなくって。私を鬱にしたやつが何言ってんだろって。バカなこと自分で言ったのわかってたから尚更笑えて来ちゃって。一時期、私が生まれるよりも前に、社会人鬱みたいだった感じのことは聞いたことはあった。別に私の辛い思いが、父親の鬱より辛いとかじゃなく、比べるとかじゃなく、「それをお前が私に言うのか」が強くて、「自分がなってて辛かった状態に娘をしている原因はあんただぞ」って、なんだかぜーんぶバカみたいだなって。この人、私をこんな風にした原因の一つであることの自覚が時々ないのか、テレビとかでの親子特集とか異常な父親とか映ると、「自分はこんなのじゃなくてよかっただろ?」って、自分が良い父親だと信じて疑わないアピールをする時が頻繁にある。これが信じられないぐらい、嫌で、嫌いで仕方がなかった。私がどんな思いであなたの娘でいるか、考えたこともないくせに。そして説教垂れるときは、「善意で」「お前のためを思って」「お前がしたいようにすればいい」の三連コンボなのだ。相手の気持ちを考えない一方的な善意がどれだけ私を傷つけたか。私のためを思ってしてきたこと全て裏目に出ててごめんなさい。私がしたいようにさせてくれなかったのは誰なのか教えて欲しい。

ここまでなら、いつも通り私のハートフルボッコで終わっていたけれど、私が泣きじゃくりながらぽろっと言ったんですね。「もっと早くに謝ってもらえてたら、もっと気持ちが楽になってたかも」って。そうしたら、「お前は何に謝って欲しかった?」それを、そういうのを考えなきゃダメなんじゃないのか。人間として、人間に向き合うなら。意地でも言ってやんないと思ったら、「お前、今後一切合切、「謝って欲しい」とかそういうことを言うな」。「一生教えないし一生言いません」というしか無かった。ここで、「あ、終わったな」と思った。今まで、少しだけでもあった「諦めたくない」だとか「分かってもらえるはず」とか、そういうのはもう無理だ、私の心が持たない。それにずっと思ってた。私は父親に謝って欲しかった。こんな風に思い詰めるまでにしてしまってごめん、とか、なんでも良かったかもしれない。事あるごとに、私は感情が高ぶると泣いてしまうから、いつも泣いてて苦しくなって、私だけいつも苦しくて、悪いことしてないし、言ってないって自分では思ってるのに、その場を収めるために結局父親に謝ってばかりで。私ばっかり謝って、なんで辛い思いしないといけないんだろう。そりゃ、父親にだって、私の知らないところでたくさん辛い思いはしていると思うけれど、私にとっては、私の感性や価値観を否定して、押し付けてくる怖くて厄介で、「どうしようもなく逃げれないいじめっ子」だから、もうそんな風に思いたくないから、話し合って、和解したかった。生まれてきたくなかったとさえ何度も思ったことある、「私をつくってごめんなさい」と言わせようなんて思ってない。ただ、今まで一回も、謝られたことなんてなくて、何回も何回も私の心を踏みにじって殺しても、謝られたことなんて一度もない。あんまりすぎる。勝ち負けの話じゃなけど、こんなの私が負けてばっかりだ。もう、私も疲れてしまって、こんなのこれ以上また踏みにじられ続けられるだけって、ここまでボロボロにされてようやく分かった。ようやく、母たちと同じく「諦めた」。だから、今後はもう、口論にもならないように、私は父親のイエスマンにでもなろうと思ったし、最近は父親が家にいるときは食事時以外ほとんど顔を合わせないようにしているし、また、価値観の押し付けが来ても、無理して笑って適当にやり過ごせてるはずで。何度も心を踏みにじられても、一生恨み続けて、許さないで、やっと今までの私の苦しみが少しは晴れるんじゃないかと縋って。だから、せめて、他の事は踏みにじられてもいいから、唯一、私の好きなものには踏み入れられたくなかった。そこだけは守りたかったのに、易々と踏みにじってくるのだ、父親は。

 

時々、特撮の事をどうしようもなく憎く感じてしまうときがある。

私は平成ライダースーパー戦隊ウルトラマンも、幼い頃からよく見ていた。それは特撮ヒーロー好きの父親によく見せられていたから。途中、少し離れていたけどまた今は特撮に戻りつつある。平成ライダーは遅れた分取り返したくて、見れていない作品全部見ようと思っているし、スーパー戦隊ももうすぐ終わるルパパトを惜しみながらも特別編もすごく楽しみだし、次はキュウレンジャーを見ようと思っている。ウルトラマンも、ルーブはすこし見ていたが面白かったし全部一から見たくなった。私とは、切っても切れない存在が特撮で。大好きな存在で。なのに、それも全部、あの憎き父親から来ているものなのだ。好きになったのは私だから、その気持ちは私だけのもの、と割り切れたらどんなに楽か。父親の前でなんにもないようにへらへらして、自分の部屋に戻ったら嫌でも目に入る、並べてある仮面ライダーのフィギュアやソフビ、オーズタトバ・バース・アンクの3ショットがお気に入りで、特撮から離れていた時期もずっとそのまま飾ってあった2012年の仮面ライダーのカレンダー。大好きなものに溢れているはずが、父親を思い出させてきて、どうしようもなく苦しくなって、憎く感じてしまう時がある。なんで、好きなものの気持ちまで、お前に支配されなきゃいけないんだ。一度思ってしまったら、何度も思うようになって、苦しくて、好きなものにこんな気持ちを抱かないといけないのが苦しくて仕方がなかった。特撮を見るのを、好きなのをやめてしまえばいいのかもしれない。でも、なんで、私が諦めてばっかで、踏みにじられてばっかりなんだろうって思えてきて、どうしようもなくなる時がある。どうしようもないのだ実際。好きなものは好きだし、やめようと思っても、たぶんやめれない。たくさん思い出の詰まったグッズや本を、捨てれるわけがない。だから、せめて、今後は父親に踏み入れられたくなかった。自分だけの気持ちなんだって、思えるように。

だから、この事の前に父親が機嫌取りか(今後のことなどで、私が色々と滅入っていたのをさすがに察していたのか)、普段は全く私や姉たちに何もよこさないのに、ビルドのムック本を買ってきた時は驚いた。その時は素直に嬉しかったけれど、もう、踏み入られたくないと、そこだけは今後譲れないと決めたから、揉めた次の日に「自分の好きなものは自分で集めるから」と代金を渡した。捨てることはできなかった。憎くて仕方がない父親から貰ったものでも、大好きなビルドの本を捨てるなんて行為は出来なかった。だから、行為自体は失礼かもしれないけど、「買ってきてもらったから」というていで代金を渡した。だけど、結局のところ、その代金は私に返ってきた。私はテーブルに置いて渡して逃げ込んだ後、いつまでたってもテーブルに代金は置かれたままだった。意地でも受け取らなかった。もう揉めたくなくて怖くて泣きながら代金を渡した意味と理由を話しても、「買ってきたものだから金は受け取らない」と頑固に決めていた。なんだか、疲れてしまった。帰ってきた代金と本を見て、「どっちも燃やすか」と一瞬考えたけど思い留まった。本を見るとき、「揉めて結局代金を受け取ってもらえなくて泣いた」事を思い出すんだろうな、と思ったし、実際そうだし。なんだろう、どこまでも頑固で、というか周りを巻き込んで頑として自分の考えを曲げないのだ。どうやってこんなモンスターが生み出されたのか。ここで結局折れた私は、唯一ここだけは譲れないと決めたところまで曲げて、かけらほどもないプライドもずったずたで。私の意志ってなんなんだろ。

 

これだけで済んでたらまだ良かったのに(良くは無い)、まだ平気で心をバッキバキに踏みつけてくるから、私も驚いてしまった。

正月は家族で出かけていて、ローソンを見かけたから1月1日から始まった平成ライダー一番くじあるかと探して入って、あった!と小躍りしながらアクリルスタンドも数個持ってレジに並んだら、すっととなりに父親が来て、支払うというのだ。これ、悪意なく善意でやってるのだろうから恐怖を感じる。数日前に、あれだけ涙ながらに、娘が金を返してきたことを覚えてないのだ。覚えていたとしても、平気で同じことを繰り返そうとするのだ。あまりにも恐怖を感じたのと、どうしても自分で払いたかったのとで、店内で泣いたり揉めたりするのは絶対にダメだと小さく「大丈夫だから」といっても、もうレジで順番が来て、逃げれなくて、結局支払われてしまった。同じことの繰り返し繰り返し。部屋でまた泣いてばかりの自分が嫌で、ブラインド景品も当たっていたけど、数日触る事すら出来なかった。憎悪に塗れる相手に支払われた商品とて、仮面ライダーのグッズで、捨てることも出来なかった。結果、踏ん切りをなんとかつけて開けた。ここで、意地でも開けず、「貰っていない」と装っているのが、なんだかあまりにも頑固で、あの父親そっくりじゃないかって思ってしまった。そう思うと、体からあいつと同じ血が流れているのが今まで以上に許せなくて、全部全部抜ければいいのになんて考えた。どっちに転んでも地獄だ。受け取っても、守りたかった踏み入られたくない場所を荒されておしまい。受け取らないと意固地になっても、父親譲りの頑固さに耐えれなくておしまい。私の心はいまだに殺され続けている。

 

呪いなのかな。呪縛なのかな。私はいつか、全く父親に縛られずに、特撮が好きだと思える日が来るのかな。幼い頃から今まで植え付けられた父親の価値観や恐怖心なんてなく、心から笑えるのかな。

当分は無理だと思う。離れるのが一番かもしれないが、前述の通り、メンタルも難ありかつ、メンタルが弱ったのと同時に体も弱り、常に体のどこかの様子がおかしいのがザラで、まだ職に就くのも難しいのが現実なのだ。いつになったら家を出ていけるかもわからない。今は、心の虚無感や不安感に見ないふりして、娯楽に浸って、その娯楽である特撮ですら、たまに父親越しに痛んでいるのを知らないふりして、好きなことをしている時は嫌なことを忘れられて、それ以外の時はへらへら笑うのが精いっぱいだ。

ここまで色々書いたけれど、なんだか結局のところ、どれだけ自分のうまくいかない体を恨もうが、平気で人の心を踏みにじってくる父親を恨もうが、私が生きるのに向いていないなぁ、と思ったら全部解決する。だって、あまりにも周りを見ても、私の方が異常なのだ。母や姉たちは、私より父親といるが私みたいに壊れなかった。全然良くならないメンタルも睡眠障害も、一般的な人はそんな悩みすらもっていない。生きているのが、呼吸するのが時々とても苦しくなる。でも、それでも、惰性で生きている私だけど、いつか心から幸せだと、生きていて良かったといえる日がきたらいいな。