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【推し語り】 私の一番の「アイドル」ー Tokyo 7th シスターズ 角森ロナさんと私 崇拝編

すう‐はい【崇拝】

[名](スル)心から傾倒して、敬い尊ぶこと。「心から崇拝する」「偶像崇拝
デジタル大辞泉

崇拝(すうはい)とは - コトバンク

 

もはや、私の角森さんへの気持ちは崇拝かなにかなのかもしれない。

 

 

あけましておめでとうございます。(幣ブログでは二回目)(めちゃくちゃ遅い)

新年ですね!と振袖角森さんのカードのスクショを使いたかったので無理やり新年の空気にした。できたのか?

 

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振袖姿の角森さん。髪の毛をおろしているヘアアレンジも大変似合っていて、転びそうなところも含めて超絶可愛いですね。

 

さて、角森さんへのたっぷりの感情は、以前に気持ちの悪いぐらい書いたけれど、それは出会い編。

clarastorage.hatenablog.com

 

今回は崇拝編。

 

先程貼った記事は、ナナシスをご存知ではない方にも、不便なくある程度は読んでいただけるように書いているつもりで、この記事を読んでいる方は「ナナシスの事は(さっきの記事とかで)なんとなく知ってる」「筆者がめちゃくちゃ角森ロナさんという子が好き」ぐらいの認識は、これを読んでいる方みんな持っているという事を前提として話は進めていく。

 

 

ナナシスを始めて、角森さんを好きになってからというものの、毎週水曜日には公式Twitterでの更新・メンテナンスのお知らせが来るから、「この前ガチャだったし当分は安心かな」とか「でもイベントは長らく来てないからいつ来てもおかしくないんだよな」とそわそわしたり、角森さんの新カード実装でのガチャで一喜一憂したりと心をかき乱されたり、もう完全に生活の一部に組み込まれている。彼女及びナナシスは私の生活の一部なのだ。

そんな角森さんへの感情が募る中、あることに気付いてしまった。私は支配人じゃない、と。

 

 

 話が逸れるけれど、まず私は、ゲームにて、いわゆる「名前は自分でつけてね」系主人公に全くと言っていいほどに自己投影できないタイプのプレイヤーで。

いままで、ゲーマーというほどでは無いけれど、まぁそこそこのゲームをしてきた。そういう系のゲームだと、幼い頃まで遡れば『ポケットモンスター ダイヤモンド』ぐらいまで遡る。ポケモンぐらい主人公が喋らない事を徹底されていても、私はそいつのことを、私の分身とは全くもって思わなかった。いや、パートナーとして旅をするポケモンたちには、めちゃくちゃ愛着も湧いているし、パートナーだと心の底から思っている。でも、今自分が操作しているやつが自分だとは全然感じない。この辺、自己投影できる人とできない人の違いとか、興味はあるけれど今回の本題からは逸れるから一旦置いておくとして。

あとは「乙女ゲーム」だろう。中学生の頃にめちゃくちゃしていた。乙女だったもので。自分でも買っていたし、友人からも借りたこともある。そんな乙女ゲームも、主人公の女の子には名前を自由に設定できるものもけっこうあった気がする。私が中学時代、原作ノベルと共にハマったゲーム、『BROTHERS CONFLICT』もそうだった。

www.otomate.jp

Vitaへの移植版、買えてないなぁ…。PSPの方は、2本とも初回限定のを買うぐらいにはハマったなぁ…。移植版だと2本のを一つにまとめてあるとかめっちゃお買い得だし…って思ったけどこれ攻略対象数えぐくなってるな!?フルコン鬼なのでは!?トロフィー全部取るの絶対修羅の道だろ…

キャラクター自体みんな好きだったし、絵も綺麗で声もかっこいいイケメン達を堪能できるゲームとして最高だったのだけれども、特に私が入れ込んでいた、というか自分のオタク史に刻み込まれているほどに熱狂的に好きだった朝日奈祈織、通称・祈織様のルートは、それはもうマジで号泣しながらやった。精神すり減らしながら発売日の夜中に涙を流しながら攻略した思い出がはっきりとある。彼、祈織様のことを話す機会ではないのでざっくりとしか書かないが、そりゃあ彼が大好きな私は、攻略できる事に「やっと祈織様は救われるのか」と嬉しかったし、幸せになってほしい、と何度も願った彼が、ついに幸せになる話なのだ。無事エンディングを迎えられた時もめちゃくちゃ嬉しかったし私も幸せだった。だけど、吐くほど泣きながらプレイしていても、決して私=祈織様の相手、すなわち主人公ではなかった。他のキャラを攻略していても、他の乙女ゲームでも。なんというか、祈織様に対して夢願望的なものはあるのだけれども、ゲームをプレイしていても、私は「二人とも、幸せに…!!」と涙ながらに思う謎の存在なのだ。主人公は私では無いけれど、決して嫉妬心などを抱くようなことはないし、なんというか「異物感」はない、そんな感じ方でずっとプレイしていた。

現在プレイしているFGOなんかも、「そういう系」の部類なのではないだろうか?私はヒロイン兼相棒であるマシュがめちゃくちゃ好きなので、完全に「私はマシュの先輩」という気持ちではあるのだが、シナリオで選択肢でたまに喋る主人公には、全くもって自己投影はしていない。これも中々難しいのだけれども、召喚した(ガチャで引いた)サーヴァントは私のサーヴァント!ぐらいの気持ちはあるけれど、シナリオでいる主人公は私とは別存在・本当に物語の「主人公」で、それを私は俯瞰して見ている、みたいな感じだろうか。雰囲気で感じてもらえれば…。

 

そんな、まぁ徹底的に、私(プレイヤー)≠操作しているゲームの主人公なプレイスタイルを続けている私だが、ナナシスも勿論そうなのである。

大前提として、「シナリオでの支配人、男だしなぁ」みたいな部分も大いにあるけど、ぜんっぜん私は支配人じゃないのだ。ナナシスのプレイヤーの名称としての「支配人」は名乗るけれど、自分のことを性別とか関係なく、支配人だとは思えないのだ。なぜか。他のゲームよりもその感情は強いかもしれない。

 

というもの私はナナシスでは角森ロナさんの事が、ハイパーウルトラ最上級に好きなのだけれども(再確認)、角森さんに対してプロデュースしたいだとか支えたいだとか、そういう、支配人としての感情が一切と言っていいほどに無いのだ。

なぜかって、彼女のアイドルとしての活動に対する思い、歌声、めげずに頑張る姿などを見ていてると、私の中での角森ロナさんはあまりにも「アイドル」という部分が強いのだと思う。愛とか希望だとかのキラキラしたものをくれて、笑顔をくれる、誰よりも輝いて見えるアイドルこそが私の中の角森ロナ。私はそのアイドルの一オタクに過ぎないのだ。

 

だから、角森さんがマイページでこちらに語りかけてくる言葉も、私に対してではなく「支配人=プレイヤー」が結びついているプレイヤーに投げかけられている言葉に聞こえている。「支配人さん、お仕事お疲れさまです。」と言われても、「ごめん角森さん…私は支配人なんかじゃないんだ…ごめんなさい…」と謎の感情に襲われる。なんだこれ。シナリオを読んでいても、やっぱり私は支配人ではないので、シナリオでの支配人とみんなが頑張っているのをふよふよと遠くから見ている、または成長記録とかドキュメンタリーみたいなものを見させてもらっている感覚にすらたまになる。私は、彼女の一オタクでしかないから。だから、支配人業務という名のゲームをプレイしていると、「私は一体なにを…」「元々このゲーム、どの辺でプロデュースしてるか分かんないけど、尚更分かんなくなってきたな」と自分がよく分からなくなることがままある。ソシャゲしててそこまで考えるか?と言われると、「…たまに」とだけ。

そんな感情に当初は少し悩んでいたけれど、割り切るのは異様に早く、「ゲームでのプロデュースは、システム上の何かにそういう名前を付けてあるだけ」と支配人としてロールプレイングすることを早々に放棄し、「レッスン」とか「プロデュース」とかの名称の何かは、「カードのレベルあげるやつ」「スキル解放するやつ」「ステータス上がるやつ」 と完全にゲームの要素として扱うようになった。それでいいのか。でもまぁ、めちゃくちゃ支配人としてなりきってプレイしてる人もそんなにいないだろと思いつつ…。

 

角森さんには、なにか少し悪いかもしれないが、「角森ロナという少女」個人に対する思いは、「アイドル・角森ロナ」への思いには勝てない、というか別次元の感情になってくる。もちろん、ちょっとした日常エピソードでの角森さんもめちゃくちゃ可愛い。当たり前。他のナナスタのメンバーとの絡みなんかも(百合豚としても)大好物だし、微笑ましくてたくさん見たいとも思う。なんだろう、そういう日常シーンでの角森さんは、いわゆる日常系漫画・アニメのキャラクターを見ているような感覚で、アイドルとしての彼女と結びつかないわけじゃないし、「角森ロナという少女」と「アイドル・角森ロナ」両方とも角森さんだし、両側面合わせての「角森ロナ」というキャラクターなのは当然の事。それを分かったうえで、彼女を支える支配人という気持ちより、アイドルとしての彼女を応援したいし、幸せをもらっている、彼女のファン・オタクとしての感情が強い、というのが本音。

そして、どんどん崇拝じみた感情すら湧いてくるのだ。ずっと笑っていてほしいし、幸せでいてほしいし、アイドルとして大成してほしい。そういう当たり前の感情もあるけどれど、何か眩しい存在で、綺麗な何かで、自分なんかが触れられる存在じゃなくて(次元の話ではなく、支配人であるかどうかである)尊い存在、癒しや救いを求める存在なのだ、私の中の彼女は。もはやスケベなイラストや他の人間の下品なツイートなんかも見れなくて、あらゆるところで「ナナシス ロナ」とか検索がかけれない。「角森さんのそういうところ見たくない」「角森さんを穢さないで」とか思っちゃうレベル。厄介かな?今のところ思うだけに留まっているので許されたい。(マイナス検索すら、それでも際どいのとか出てきたりしたら嫌…とまで思う。厄介かな?

なんかもう私の中では、そういう神聖な何かなのだ。この角森さんへの気持ちに名前を付けるなら、崇拝という言葉がしっくりくる気がする。崇め、敬い、尊ぶ。そんな感じ。ここまで自分の中で膨れ上がっていて、こう書きだしていて誇張して書いているという気にもそこまでならない。偶像崇拝、アイドルとはすなわち偶像、今の私にピッタリな言葉じゃないかと思う。

まぁね、アイドルとしての彼女が一番好きでも、日常でのほんわかドジっ子角森さんもそりゃあ大好きだし、ガチャしてイベントこなして彼女のカードを揃えたい欲望だってあるし、なんというか結局のところ「ナナシスのオタク」での支配人ではあるので。他のキャラクターだって大好きだし。角森さんへの感情が大きすぎるだけだから、きっと。

 

運命の出会いをした彼女は、私の中で、「女神」とか「天使」みたいな尊い存在、崇拝するアイドルになりましたとさ。完。

終わってないけど。ナナシス全然終わってないけど!今年にはメインシナリオ進むし、新ユニットもできるし、既存ユニの新曲も決まってるし、単独ライブも決まってるけど!!私の角森さんへの感情や気持ちは、現段階ではもう書けることがないくらい、ひと段落着いてるよってことで。

 

 

近況報告として、今一番怖いのは、今年のバレンタインカードの担当の一人が角森さんだったらやべぇなって感じです。今まで角森さんのバレンタインのカード実装されてないからねー。怖いなー怖いなー。ガチャの限定だったらどうしよー。収入を得なければ確実にガチャに敗北する未来が見える。働こう私。